カテゴリ:雑感( 39 )

素晴らしい自然環境の窯元さんを訪ねたその帰りに。



先月、とある窯元さんを訪れた際に撮影した風景写真。

窯元さんのすぐ近くの場所で、あまりにも素敵な風景だったので、
車から降りて思わずシャッターをきりました。


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樹木が生い茂っているのは山の中だけではないんですね。

川の畔でも木々は茂るんですね。


新緑は目に眩しいし、風は爽やかだし。

どこか外国の農村風景のようにも見えますよね。


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すぐ間近にこのような自然がある環境で作陶していたら、
やっぱいい作品ができるんでしょうね。






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by tano4sou | 2014-05-27 23:38 | 雑感

たまには“練習”を、取り入れてみよう。


最近、陶芸仲間と話している時に、無意識に出てきたことがあります。

「いつも作品を完成させようとせずに、たまには失敗してもいいから、
思い切ったことをやってみましょうよ。」


陶芸をするからには、誰しも「イイ作品」を作りたいと思うモノです。

で、陶芸教室とか公民館活動とかスケジュールが決められた中で行うので、
どうしても、「失敗はしたくない!」という気持ちが働きますから、スポーツで
云うところの“試合”みたいな感覚で、最後まで作陶されます。

それは決して悪いことではなくて、必要なことなんですけどね、
なかなか“殻を破って”という点においては、弱いかなと思います。


先日お聞きしたある方の、信楽への陶芸研修旅行での話はとても
興味深いモノでした。
それは、信楽の陶芸体験をさせてくれる工房での話です。

陶芸体験ですから、時間に制約があるわけですよね。

その限られた中で、「さぁ何を作ろうか?」というところから始まって、
日頃は細かい装飾などを施される方ですが、如何せん時間がないので、
じっくり考えずに、感性の赴くまま作陶されました。

で、どうにか細長い掛花ができたそうです。

出来上がりをご覧になられて、「結構面白い作品に仕上がった」と
おっしゃられていました。


終わりの時間が決まってて作陶するというのは、ある意味では、
“練習”に、近い感覚ですよね。

いつもと違う訳ですから。
錘をつけてるのと同じように、「負荷」をあたえてる訳ですからね。

ですからね、わざと「負荷」をあたえて作陶をしたらいいと思うんですよ。

例えば、先ほどの話のように、“時間を区切って作陶してみる”、
“削る時などの手数を少なくしてみる”、“いつもは写真や本を見て作っていたら
数十分か数時間頭に叩き込んで、作る時には何も見ずに一気に作ってしまう”
などなど、考えればいくらでも出せるはずでしょうからね。

仮に失敗しても、上手くいかなくてもいいんですよ。

なぜなら、“練習”だから。

それにそれは「失敗」ではなくて、ひとつの経験。
その方の「財産」でもあります。

こういう地道なチャレンジが、いずれ活きてくると思いますね。

「新しい自分に出会える」かもしれないし、または「より上のステージに
引き上げてくれる」かもしれないです。



※この画像は、手造りの霧吹き。上記の文章とは、関係ありません。
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by tano4sou | 2013-02-10 19:16 | 雑感

異ジャンルの方との話は、“タメ”になる?!。


先日の「やきもの見聞録」の記事で、ミケランジェロの全作品集の事を
書いたことがありましたよね。

その際に、彫刻をされてる方からいろんな話をお伺いしたんですが、
とても印象に残る話が聞けました。


「リンゴは五角形なんですよ。」っていわれたら、どう思います?。

彫刻をされてる方とか果物を扱ってる方からしたら、“当たり前”の事なのかも
しれないんですが、始めて聞いた者には、驚きですよね。

リンゴを真上から見ると、五つの角が見えるらしい、です。

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デッサンをする際には、「リンゴは五角形」ということを、ちゃんと認識して描かないと
いけないので、単なる写しや写生ではダメだと。

つまりデッサンというのは、その対象物の本質を捉えることだ、とも仰られていました。


それから、一番心に響いてきたのは、「自己模倣はいけない」という言葉でした。

他人をマネして模倣するのはいけないことは、私も分かっていましたが、自分の過去の
作品を模倣すること(自己模倣)も、いけないというのには、衝撃を受けましたね。

さらに彫刻においては、自己の 「“量”のハーモニー、“量”のバランス、“量”の強弱」を、
見つけることが大事だと、言われましたね。

それは、画家の方が自分の線、自分の色を見つけるのが大事だと云われるのと
同じことですね。


翻って陶芸・焼き物では、どうなんだろうと考えると、「う~ん」となってしまいます。

技術・テクニックが幅を利かせてしまう世界ですから、どうしても先人や他者の作品を
意識して制作してしまうきらいは出てきますもんね。

“表現”という面では、弱い感じがしますよね。


それにしても、彫刻などの異ジャンルの方と話をさせていただいたことは、
新しい気付きや発見があって、楽しかったなぁ。

それに、タメにもなりましたし。

元々、陶芸・焼き物というのは、彫刻と非常に近しい存在なんだから、
彫刻の事を勉強した方が良いんじゃないかなと、思いますね。
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by tano4sou | 2013-02-01 23:06 | 雑感

「本の価値」って、何で決まるんだろう?。


今日、お邪魔したのは、もともと彫刻をされていて、その彫刻では「日展」での入選
とかもされたキャリアをお持ちで、ここ数年では、陶芸も始められて楽しまれている
という方です。

その方の工房で、見てしまったのが、この本。

『 ミケランジェロ 全作品集 』

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見た瞬間、「デカッ!。」と思ったほど、とてつもなく大きな本。

縦51㎝、横33cm、高さ9㎝ というサイズで、写真でもよぉ~く見ると
何となく大きそうな感じは、お分かりですよね。

当然、ページ数も半端じゃないですよ、768ページもあります。
重量ももちろん、ありますね。

ケタはずれなのは、これだけじゃないですよね、そう、金額もね。

この手の美術作品集では、それほど高価な方ではないのかもしれませんが、
31,500円の値段がします。

「じゃあ、1冊」とは、簡単には購入できない金額です。


それに、“高価だから良い”というものでも、ありませんよね。

読む人、見る人にとって、 “価値があるかどうか”

ただの1ページでも、読む人にとって価値があればそれは、
“良い本”と、云えますね。

現に持ち主の方は、ご自身にとっては必要な本だと認識されていて、
購入されましたし、「自分にとっては、10万円の価値がある。」とも、
仰られていました。


以前、「陶遊」という雑誌を、「高いだの、このページだけ欲しいだの」と
言われていたのを耳にした時の事と比べれると、雲泥の差がありますね。

本の価値って、人によって様々なんですよねぇ~。
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by tano4sou | 2013-01-30 20:43 | 雑感

楽吉左衛門さんのテレビ番組を見終わって。


あぁ~、やっぱ、感想を言わざるを得ないよなぁ。

愚痴っぽくなるから、云うのは止めとこうかと思ってたんだけど、
治まりそうもないんで思いきって、吐露します。


皆さんも、あのテレビはご覧になられた方は、多かったんではないですか。

見た感想としては、「とても良かった!。」「メッチャ、良かった!」
以外の感想は無いですね。

ホント、ヘンな陶芸の本を読むより、このテレビを繰り返し見た方がよっぽど
為になるんじゃないか、と思うくらい良かったです。

特に、 「伝統と革新の振り子運動」「火に託す」 というフレーズ。

「振り子運動」というのは、前衛的な茶碗を作る時、樂家が代々作ってきた
伝統的な茶碗も必ず作るという話でしたし、「火に託す」というのは、絵画や
彫刻といった他の芸術と大きく異なる「焼く」という行為を必ず経るモノだと
いう話でした。

どちらの内容も、個人的に今までずっと感じてきてたことでしたから、それを
楽吉左衛門さんが説明してくれたということで、ものすごく実感できましたね。

だから、よく楽吉左衛門さんもテレビに出ることを了解したなぁとか
誰がくどき落としたのかなと、感心しましたし、ちょっとやそっとじゃ
できない企画だなぁとも、思いましたね。

それほど感動した番組だったんですけど、周りの方々は違う反応が
多かったですね。


中でも、陶芸されてる方々の反応は、顕著に違いました。

先ほどのフレーズなんかには目もくれない感じで、「茶碗を削る」「釉薬を塗る」
「茶碗を焼く」といった作業工程には注視していたみたいですね。

『あれだけでは、どうやって作っているのかよく分からん。』
『もっと見せてくれんと、あれじゃあダメだ。』
といった類の声もよく聞きました。

陶芸をされてる方々からすれば、作り方というのが最大関心事なので、
作業工程にしか興味が無くなってしまってるんですね。

子供が大人になるにつれて、純真さを失っていくかのような、
そんな反応でしたね。

とても残念なことです。


でも、作り方以外のことでも、ホントに良いこと、大切なこと、大事な事を、
話していたと思うんですよ。

「伝統と革新の振り子運動」にしろ「火に託す」にしろ、直ぐに直接的に、
ではないにしても、必ず陶芸に役立つことですからね。

いい作品を作るには、当然正しいちゃんとした技術は要ります。
と同時に、正しい考え方、正しい姿勢も必要です。

ある意味、作り方よりも大事なことかもしれませんよね。


楽吉左衛門さんは、このテレビ番組に進んで出演したかった訳ではなくて、
NHK或いは他の人の働きかけにより、最後には「出よう」と決意され、そのうえで、
出るからには、自分の思いは出そうとされたんではないかなぁ~と、
個人的には思うんですよ。

いや実際は、そうじゃないかもしれませんよ。

でも少なくとも、この番組を通じて最も伝えたかったのは、
茶碗の削り方、釉薬の塗り方、茶碗の焼き方ではなかったハズ。

それは、はっきりしてるんじゃないでしょうか。
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by tano4sou | 2013-01-17 21:13 | 雑感

陶芸+〇〇の “二足のわらじ” は、大変です。



陶芸をされている方の中には、陶芸だけにとどまらず、他のことをされている方も
多くいらっしゃいます。

例えば、絵を書いたり、お茶やお花を習ったり、書道をしたり、絵手紙をしたりなどなど
挙げればキリがないくらい。

でも、陶芸もやり、彫刻をされてる方というのは、珍しいのではないでしょうか。

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写真に写ってるモノは、「日展」に出品された作品らしいです。
作品自体、1m80~90㎝、2m近くの大きさがあります。

出品後、“谷中田美術”という専門業者さんによって梱包されて帰ってきたと
お聞きしました。

作品を梱包して展覧会場に送って、また送り返してもらうというのは、
段取りをするのも大変だし、運賃もバカにならないだろうし、彫刻というのは
いろいろ気苦労があるんだなぁと感じましたねぇ。


「彫刻+陶芸」という“二足のわらじ”は、大変ですよね。

でも、それ以上にそれぞれのプラスになることが多かったり、
相乗効果も見込めたりするから、続けられてるんでしょうね。

知らず知らずのうちに、ね。
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by tano4sou | 2013-01-06 21:21 | 雑感

陶芸家・石田充弘さんにハマッた理由。



2012年もあと一時間程で、終わりとなります。

今年最後の「やきもの見聞録」の記事は、島根県松江市在住の陶芸家・
石田充弘さんに関してのモノです。


石田さんとのお付き合いは、約3年前に陶芸の仲間と山陰方面への
窯元巡りに行き、工房へお伺いしてから始まりました。

島根の焼き物についてのガイドブックを手に入れ調べてましたから、
作品の雰囲気・テイストは多少は分かっていました。

なので、「実際はどうなんだろう?」という感じで拝見させていただきましたが、
やはり写真にたがわぬ作品ばかりでした。

特に、トンパ文字をモチーフにした絵付けの作品などは、
オリジナリティ溢れるもので、すごく魅力的でしたね。


では、作品が気に入ったから、陶芸家・石田充弘さんにハマッたのかというと、
そうではありません。

その理由は、これです。

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「飯器九百九十九碗‥‥石田充弘めしわん展」DMはがき。

本当は、工房内に貼ってあったポスターなんですけどね。
剥がす訳にはいかないので、DMハガキで代用してます。

工房に入ってから、ポスター(DMハガキと同様)の「飯器九百九十九碗」という
文字が目に飛び込んできた瞬間、思いました。

「スゲェ~ッ!」と。


というのは、この「九百九十九」という言葉(文字)。

この言葉には、数を表しているだけじゃなくて、「メッチャ多い」「とても多い」という
意味もあるんですね。

長崎県佐世保市近海の島々を「九十九島」と呼んでいるのも、同じ意味合いです。
(実際は208あるらしい。)


つまり、「数がメチャクチャ多いめしわん展」と云うことになるんですよ。

誰しも“やったら面白いな”とか“出来ないことはない”とか、思うんですよね。

でも、出来ないんです。
全て違うモノを作ることはできないんです。

体力的な問題もありますが、それより何より、めし碗だけを作り続ける
気力が続かないんですよね。

結果、誰でもできない。
誰でもできないことは、やっぱり「凄い」んですよ。

このことが、陶芸家・石田充弘さんにハマッた、本当の理由です。



それから、最後に一言。

2012年、<陶芸・焼き物応援ブログ>「やきもの見聞録」にお付き合い
くださいまして有難うございました。

来年も、やきもの・陶芸の面白さや愉しさをたっぷりとお伝えしていきます。
時には、ちょっと辛口も交えて‥‥。

どうぞよろしくお願いたします。
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by tano4sou | 2012-12-31 23:03 | 雑感

使うことで、自分の作品を客観的に見れる(?)。



つい最近、ちょっと趣のある徳利を紹介したことがありましたよね。

実はその時、花器も撮らせていたんですよ。
この花器です。

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室内の蛍光灯の光だけで撮影したので、ちょっと色合いとか影が強いとかの
問題はありますが、その辺は割り引いてご覧ください。

とても風情のある花器なんで、その焼き物の良さについて語りたいってのはもちろん
あるんですけども、それにも増して良いのは、自分で花を活けてるってことですね。

<やきもの見聞録>ブログで以前にも書いた事がありましたけど、
器というモノは花が活けられたり、料理が盛り付けられたりすることによって、
よりうつわの良さも引き出されるのでね、実際に使っていることが何より
素晴らしいことですよね。

花は何日かに一度、活け直されるらしいので、ずっと継続して活けられているのは
ある意味スゴイことでもありますよね。


陶芸をやられている人は結構多いとは思います。

ですが、自分で作られた花器なり食器なり茶碗なりを、ご自身で使われて
おられる方は多分、少ないんじゃないでしょうかねぇ~。

どうしても作ることだけに一所懸命になりがちですし、公募展に出そうものなら、
とてもじゃないが使えない訳ですから。

それでも、使う事によって分かることは、いっぱいあるはずです。
自分の作品を客観的に知ることができると思いますね。

それがひいては、次の作陶に活かされ、よりよい作品に繋がっていく訳ですから、
飾ってるだけじゃダメですよね。

作ったものは、ドンドン使ってみないといけませんね。


ちなみにこの花器は、備前焼作家・香西三樹さんが作られた花器です。

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by tano4sou | 2012-12-20 23:47 | 雑感

陶芸家さんから、教えられたこと。


焼締を得意とされてる陶芸家さんと話す機会がありました。

今までも、お話はちょくちょくさせて頂いていたのですが、従来とは全然違う
感情をもちました。

何より、物事の捉え方や焼き物への造詣が深いということを、恥ずかしい話ですが、
今日初めて知ったんですよ。

それは「語彙の豊富さや使い方の適切さ」で、理解できました。


例えば、“据わりがいい”という表現。

自分は「美しさ」ということを語る際には、「美しさとは、不安定と安定との境の、
そのきわに最も現れる」と言った上に、まだ「例えば‥‥」というような別の言い方も
プラスして喋ってたくらい、すごく廻りくどい表現をしていたんです。

それが、“据わりがいい”という表現を使ったら、どれだけわかり易いことか。

しかも、自分のニュアンスに近いときている。

今まで、時間を掛けて自分の考えを云ってたのは、「何だったんだ」という
気持ちにさえなるぐらいでしたね。


他にも、“古備前の焼き物は、女性の立ち姿を想像させる”とか
“縄文時代のやきものを目の前にしたら、居た堪れなくなる”とか、
とある陶芸家さんの作品を評しては、“泣かせどころがある”“男の色気がある”
“見栄を張る、という役者に近い感覚”といった、フレーズがポンポン出てきてました。

これらは取りも直さず、「物事をちゃんと捉えている」「本質を観ている」ことに
他ならないですね。


陶芸・焼き物は、上手にカタチ作らなければいけないし、
上手く焼かなければいけないです。

でも、それだけじゃない事を今日の話は教えてくれましたね。

“奥深さ”とか“厚みみたいなモノ”をね。

そうなってくるとやはり、一朝一夕に成し遂げられるものではないですから、
長い年月を掛けて取り組むべきモノなんでしょうね。

それに、それだけの価値のあるモノなんですね。



今日お話を聞かせていただいた陶芸家・濱田伸一さんの
マスカットの枝の灰から作った釉薬のテストピース。
実際の焼き上がりは、これからまた変わってくるのか、楽しみですね。

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by tano4sou | 2012-12-18 21:31 | 雑感

最近の展覧会で想うこと。



最近、とある展覧会を訪れた時のことです。

良い賞を取られた作品は、年月を掛けてやってきて、だれでもかれでも簡単に
作れるような感じはなくて、“流石だなぁ”“スゴイなぁ”といった感想をもちましたが、
それにひきかえ、“こんな作品が入選してるの?”と思えるような作品があった事には、
とてもビックリしました。

その展覧会は歴史もある、由緒正しい展覧会なのに、
「これはあまりにもひどいなぁ。」と個人的に思ったものでした。

「それはあなたの見る目がない」と云われればそれまでですけども、
なんか「普通」ではない感じがしましたね。


昨今の陶芸界を見渡しても、「?」マークを付けたくなることが多々あります。

例えば、
公募展に出展する作品は伝統工芸展の図録作品から選んで作る、
自らは勉強努力もせず、すぐプロの方々に作り方を聞きまくる、
自分で作品を作らずに知り合いの陶芸家の方に作って焼いてもらった作品を応募する、
アマチュアの身分を隠してプロ方々と同じ土俵で売る、
多くの人が公募展に受かることだけが作陶の目標、意義になってしまっている
などなど、挙げればきりがないくらいです。

先ほど挙げたことは、直接的には展覧会の内容には関係のないことですが、
同じ陶芸界のことですから、どこかで影響を与えていると思いますね。


もうそろそろちゃんと、「良いモノはイイ。」「そうでないものは、より良くする。」
というふうに襟を正してしていかないと、そっぽをむかれてしまうかもしれないですね。

それはやはり、プロの陶芸家の方々や陶芸のキャリアの長い方々が、単に技術の
事だけを教えるのではなく、心構えとか取り組み方など技術以外の事、言いかえれば
“本当の陶芸の面白さ、楽しさ” を教えないといけないと思いますね。

少なくとも先程の展覧会の「金工」や「染織」や「漆芸」や「木竹工」や「七宝」など
の方が、遙にちゃんとしてるように思えますものね。

「陶芸」が一番ルーズで、いい加減な印象を与えてますからね。

遅くなっても今からでも、やらなければいけないですね。



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全円分度器
※ 写真は本文記事とは関係ありません
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by tano4sou | 2012-12-16 22:12 | 雑感